『私のJAZZ紀行・ニューオリンズ』

今となっては、とっても残念ですが、自然の力には逆らえません。
ひどいハリケーンでした。
ニューオリンズまでの直行便はありません。
私達夫婦がヒューストン空港の混んだ税関に並んだ時からそれはひどく感じられました。
何かがいつもとは違うのです。
人は引き潮と満ち潮で血の流れの違いが感じられるのと同じように空の遠いほうで何かが渦巻いていました。
2005年7月ハリケーン「カトリーヌ」はマイアミで暴れて五人の命を吸い取り、いかにも得意げでした。
私たちの飛行機はその影響でヒューストンで少し待たされてから、11日になってニューオリンズへ向かって飛び立ちました。
空はいつもより荒れていました。


日本では台風一過と言う言葉があります。
こちらも雲が時々物凄い速さで走り抜けると真夏の暑さがむうっと押し寄せ、肌の上を汗が玉のように噴き出します。
しかし、黒い雲はいつも何処かで見張っているかのように必ず空の一部に顔を見せていました。
それは気持ちが悪いくらいにどす黒く、トグロを巻いていました。

湿気は80%〜90%で、ただ外に立っているだけでも汗は流れます。
新井泰男の頭痛は頂点に達していました。空が重く迫ってくるのです。
夜になると少し気温が下がり、涼しく感じられるころ、人々は賑やかなバーボン通りに繰り出します。
東京の下町通りを思わせるような狭い路地は両脇がお土産屋さんや一軒置きにバンドの音が破裂しているライブハウスが立ち並び、客寄せに余念がありません。
その音は向かいのライブハウスに負けじと、うるさい曲をガンガン出して賑やかさに拍車を掛けています。
立ち並ぶストリップ小屋の看板も表現の域を越えていて、返って入りにくくしているようです。
(アメリカ人の客はこの方が入るのかな?)とまぁ、とにかくここは一年中お祭り騒ぎです。

日本人観光客とは、ほとんどすれ違わずにこのあたり一帯を歩き回っていました。
実はとっても危険な地域らしかったのですが、何しろ新井泰男は、ひどい頭痛の為か顔が恐ろしい形相でしたから、私はお陰で凄いボディガードと一緒に旅が出来て安全で素敵なニューオリンズの街を散策できました。

ニューオリンズでは、夜になると必ず明け方から朝に掛けて雨が降ります。
その時の蒸し暑さといったら、この暑さがジャズや小説・独特の墓地、町中に住んでいると言われている幽霊を生み出したらしい・・・。
ブードゥー教の伝説が今も息づくここニューオリンズは、死者たちにとって住み易いらしく、幽霊屋敷や怪談話が多く、またバンバイヤー(吸血鬼)までもが住んでいたらしい。
そこを訪ねるツアーまであるんだから・・・・。楽しいですね。



町を流れる大河ミシシッピ川は全長約6210Kmでアメリカ最長、世界で第三位です。そして平均海抜マイナス1.5m。
アメリカの都市では、海抜0m以下は唯一ニューオリンズだけでした。
この川は見た目は海のように広く大きいのです。

私が見た川の堤防はダウンタウンの旧市街フレンチクォーターの街中で海抜3〜4mでした。
一日中巨大なタンカーやら小型の船までたくさんの船が行き来しています。
その川沿いにジャクソン広場があります。ここが町のへそです。
ここに面して建つセントルイス大聖堂は美しい。
広場の手前には花を飾った観光馬車たちがたくさんのお客さんを待っています。
さすがにニューオリンズです。昼間は町を少し散歩すると、あちらこちらからホーンの響きが呼んでいます。
ルイ・アームストロング記念公園は、昼間でもひっそりとしていて、中庭には美しい庭園にふさわしい池やそこに掛かる赤い小さな橋が印象的でした。どんなお客様を迎えるのか迎賓館が物静かに建っていました。
公園の中は大きなホールと小さなホールがあり、頻繁に演奏会を開いているようでした。銅像も庭のあちこちにたくさん有り誰だか区別が付きませんでした

お土産屋さんの品はというと、ニューオリンズって兎に角JAZZばっかり。JAZZを取ったら何にもないんだから。
「音楽は」というと、ニューオリンズはJAZZのイメージしかないですが、夜のバーボン通りにはディキシーやラグタイムはあんまりなくって、先程陳べたようにナイトクラブでも伝統的なニューオリンズ・ジャズを聴かせる店は、逆に少ないのです。
ブルースやR&B、ロックやディスコサウンドなどの音色と、ボンボン云うリズムとがぐちゃぐちゃになって、それぞれの開け放した扉から大音響で流れてきます。
何も店に入らなくとも、表通りにたむろしてダイキリなどのカクテル入り氷をすすっていても、流れてくる曲がJAZZじゃないのに、自然とJAZZって来るから不思議。
夜のバーボン通りには街角ごとにポリスマンがいて、(乗馬の警官までいた)人々の危険さが伝わってきます。
「ほんとに危険地帯みたいね。」と言いながらダイキリを飲みながら、この街を練り歩きました。

アメリカで最もクラシックなジャズが聴けるPreservation Hall(プリザベーションホール)と言うぼろぼろのライブハウスがバーボン通りの小さな路地を奥に入った所にありました。
住所で探していたらあまりにも年代物の塀とぼろい木の扉で、何回か通り過ぎてしまい、やっと見つけたんです。
何回もペンキで塗り過ぎてきちんとしまらなくなった古い太った扉から10ドルの入場料を払って中へ・・・・。

中は狭くって、細い木のベンチに客がギュウギュウに座り、もっと後から来た客は懐かしいギシギシと音を立てるぼろい木製の床に座ります。
壁も舞台になっている小さなスペースもすべてセピア色で、まるで絵葉書そのものの中に自分も溶け込んでいるようでした。

  マイクも何にもない。
  歌が入る時はピアノ伴奏だけになって、ブラスの音は聞こえない。
  ベースはチューバの日もウッドベースの日もあり、
  トランペット、トロンボーン、ドラムス、クラリネット、ピアノというような楽器で
デキシーを演奏している。
  崩れかけた壁に昔の有名ジャズプレイヤーの絵がかけてある。
  そしてリクエストは5ドル、但しセインツだけは10ドルという小さな看板を下げて。
  (「聖者の行進」の曲はうんざりと言う意味だと思う)

このバンドの人々はニューオリンズそのものの歴史を感じるほど年老いていて、力まない無理の無い演奏に感激しない客はいないほど素晴らしい空間でした。


もうひとつ有名なディキシーランドジャズを聴かせる店がバーボン通りの中心にありました。
店に入った瞬間気が付きました。

  あっ!
MaisonBourbonは昔からジャズの本や写真等でよくこの店のステージが使われている!!
  ここだったのか!
その割に、今日のバンド演奏にはピッと来るものがほとんどなかったなぁ。
PA(音響)がうるさ過ぎるみたい。
開け放された窓や扉から音が逃げて、客を捕まえる・・・・? お客の取り合いで毎晩がお祭り騒ぎ、・・・だからかなぁ。
今いち、ヨソを気にし過ぎた演奏みたい・・・・。

表では無料客が通りにたむろしていました。
ジャズの生まれ故郷ニューオリンズはこの貧しい町全部がジャズそのものなのです。
トランペットのルイ・アームストロングや、ピアニストのジェリー・ロールモートンや、盲目のコルネット奏者キング・オリバーなどを生んだ素晴らしい町。

その町がハリケーンによって潰されたのです。
町を守っていた壁は古く、氾濫した川を堰き止められなかった。
私が出会った心優しい人々は、感動を与えてくれたプレイヤーは、今無事なのでしょうか?

あまりに訛りがひどい英語で意味不明な会話をして笑い合い、サックスの名演奏をしてくれた車椅子のおじいさんは?
つい何回も買物に行ってしまったお土産屋の優しいおばあさんは?
歴史がいっぱい詰まった町、ジャズの故郷は・・・・今・・・・?!

何故か、私達夫婦がニューオリンズを発ったすぐ後から、去ったはずのハリケーン「カトリーヌ」はぐるっと回って帰ってきたのです。
そんな事って今迄あったでしょうか?
信じられない出来事は、未知にも起こりうるでしょうか?

私達夫婦は、以前のロスアンジェルスのコンビ二店殺人事件の時も間一髪でしたが、このハリケーンも間一髪でした。
亡くなった、たくさんの方々のご冥福をお祈りいたします。
そして、ニューオリンズで出会い、知り合えた方々の無事を祈り、以前にも増して素敵な町が再建できますように心よりお祈り申し上げます。



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